松葉菊(マツバキク) 花言葉「心広い愛情」
2018.07.30
私が住む,東海市加木屋町から,半田街道を北上しますと,
名和町の辺りに,『トドメキ』という珍しい名前の交差点があります。
今回は,私の大好きな昔話を書いて見ました!!それが,この『トドメキ』にまつわるお話です。
【平治二年(1160年)正月三日。源義朝は,野間で長田忠致・影致父子に殺されました。
京都でおこった平治の乱に,平清盛と戦って敗れた源義朝は,東へ落ちのびる途中,
ようやく尾張野間(知多郡美浜町)の長田の館に辿り着きました。
「長田はわが妻の親、きっとかくまってくれましょうに。」と,
第一の家来,鎌田政家にすすめられたからです。所が長田は,平家から褒美を貰う為に,
落ち目の義朝を裏切り,義朝が入浴中に暗殺してしまいました。
長田は,義朝の首を清盛の元に届けようと,京都に馬を走らせました。
その首を取り返そうと,義朝の家来の渋谷金王丸は,馬に乗ってその後を追いかけました。
ちょうど名和村の中ほどにかかる橋の所まで来た時,どうした事か,馬が一歩も進まなくなりました。
「はいし,どうどう。」金王丸が幾らあぶみを入れ,鞭を打ってもききません。
「これは不思議。さては,船津神社にお参りせずに通ろうとした事の,おとがめかも知れないぞ。」
そう考えた金王丸は,引き返して,うやうやしく神前に拝礼しました。
「どうか,ここを通して下さい。そのうえ,主君の敵を立派に討たせて下さい。」
そして,主君,義朝の持っていた,三条小鍛冶宗近作の銘刀を奉納しました。
すると馬は,やすやすと橋を渡る事ができました。
そこで,馬をとどめたこの橋を,『トドメキ橋』。川を,『トドメキ川』と,呼ぶようになりました。
なお,奉納された宗近の銘刀は,ながらく社宝として,船津神社に伝えられて来ましたが,
永禄三年(1560年)五月,尾張に攻め込んできた今川義元が,
自分の持っていた達磨正宗の刀と取り替えたと言われています。
正宗の刀は,現在,神社の宝物として保存されていますが,
宗近の刀は,義元の死と共に,行方不明になっています~。】 ~東海市の民話より~
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